4月の募集人数、全クラスゼロ。
そんなことある?
私はすぐに役所へ向かった。
説明を求めるために。
役所はもう申し込みしにきている人がチラホラ、皆これ見よがしに子供を抱っこ紐で連れている。
※噂だが、子供を預けてきていると、預け先があるとして不利になる、というものがある。
早速出てきた担当者に尋ねる。
なぜW園は募集がゼロなんですか?ここだけですよね。第一希望だったのですが‥‥
「あーここね、ほら新制度始まったでしょ、それに伴い、クラスの人数枠を増やすのを各保育園にお願いしていたんだけど、ここの園長だけはなんかこだわりがあるみたいで受け入れてくれなくてね。」
なんじゃそりゃ。。
「あとはゼロ歳児クラスは在園児の兄弟で埋まったってさ。数年に一度くらいこういうことがあるんだけど。」
「いやー、運が悪かったとしか言いようがない。こればっかりはどうにもならないんだよ。」
・認可保育園は園での予約制ではないが、在園児の兄弟が入園することが見込まれる場合、その人数を引いた数が募集人数として提示される
(公には言われていないが保育園の担当者からそう聞いた)
・更に、私が住んでいる市は兄弟の下の子が優先入園となり、加点も特別待遇なので、上の子が既に在園していて、かつ育休明けなら、ほぼ同じ園に入園できる。
ああ、なぜこんなに苦難が続くんだろう。
運が悪かったって言われても。
もう怒る気にもなれず、役所を出た。
W園はここら辺では歴史も長く非常に人気の園なので、2015年度、一人目の子供で希望を出したかった人、他にも大勢いたはず。
この人たちの気持ちを考えるといたたまれない。
不安な日々・・・
第一希望園に入る希望が低いどころかゼロになった。
運が悪かったとだけ言われたが、そんなこと言われても。
でももう、時間がなかったし、希望園を第二希望から繰り上げるしかない。
沈む気持ちで書類を書き、役所に持って行った。
ネットで、「嘆願書」を付けるといいと書いてあったので、レポート用紙にこれまでのいきさつや、どうしても復帰したい旨も書いて持って行った。
この嘆願書は、申込書と一緒に一応クリップで留めた状態で保管されているようで、役所に希望園を変更に行く度に目についた。
でも中身をしっかり読まれたかどうかというと、不明。
相談に行っても、そこに書いてあることは職員は把握していなかったし、目の前で読む様子もなかった。
逆に何度も目の前に晒されるので嫌な気分だった・・・
しかし、一応保管されているということから、全く無意味ではないということが分かった。(区の対応によるかも?)
しかし怒りを覚えたのはそこでの担当者の態度。
「僕らも制度変更でよくわかんないことあるんでぇー ま、なんか書類不備あったらお知らせしますねー」
はぁ?よく分かんないだ?
そんならよく分かるようになってから施行してくれ。
広報誌載ってすぐ施行っておかしいよ。
職場復帰を迎える人の中には私のように出産前から動いてた人だっているんだよ。
それが大きく変わってしまったんだから。
せめて役所の人間の立場として、分からないという言葉は使ってほしくない。
ちなみにこの男性職員、わりと立場が上の人間である。
私はこの先何度も役所通うことになるのだが、今でもこの最初の対応が頭に残っているので顔を見かける度にイライラしてしまう。
認可保育園4月入園の第一次受付の結果は1月末。
なんて長いんだろう。こんな暗い気持ちの年末年始は初めてだ。
しかも結果発表の日は長男の誕生日だった。
なんともいえない気持ちの日々に、私はまた検索魔になり、モヤモヤした不安な日々を過ごした。
結果郵送日の憂鬱
2015年1月下旬。結果郵送日。
私は実家で長男の1歳 の誕生会を行っていた。
長男のことに集中したいのに、帰ったら届いているであろう役所からの通知のことが気になって仕方がない。
きっと駄目だろう、でも、もしかして?
ダメだったら認可外に問い合わせなくては。。
今思えば、この判断がこの後の展開を大きく困難なものにしていたんだと後で気づいた。
保活の基本。
認可外は先に押さえておくものだと、妊娠中に動いていた頃は知っていたはずなのに、すっかり忘れてしまっていた。
まぁ、結局それをやっていても、意味がなかった事態にはなるのだが。。
誕生会が終わったのは夕方だった。帰って、すぐポストをのぞく。
見た瞬間、駄目だった。と思った。
封筒がとても薄かった。
開けてみると、とても丁寧な文面ではあるが、不承諾、要するに、「入れませんでしたよ」の通知だった。
やっぱりか・・・
長男の世話も早々に終え、パソコンを立ち上げ、ネットに向かう。
通える範囲の認可外を調べる。
Y園は認可保育園になったから、駄目だ。
だとすると‥‥ 通える範囲には2件しかない。
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